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オットと二人暮らし、
のんびり食べ物日記です 2012/8月 名古屋から東京に 引越しました リンクフリーです コメントもお気軽に残してくださると嬉しいです カテゴリ
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ドイツからポーランドに移動して7日目です。
人類の負の遺産とされているアウシュヴィッツ/ビルケナウ強制収容所を訪ねました。 ベルリンから夜行列車に乗り、目覚めるとポーランドの町並み。 走っている場所にもよりますが街の雰囲気はどことなく寂しげで人影がなく、通過する無人駅のホームの屋根などは落ちてきそうなくらいボロボロな駅もたまに見かけたりで驚きました。 アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)に行くため、乗換駅のTrzebinia(トライズべニア?発音が分かりませんでした)に近づくと車掌さんがドアをノックし知らせてくれたので、荷物を持ってデッキへ移動。 車内放送は全くなかったので乗り過ごしに要注意。事前に停車駅の通過時刻表なども用意しておいた方が良いです。(その点、オットはいつも添乗員並みに準備万端なのでとても助かります。それに対して何もしないヨメ。笑) Trzebinia駅に到着しホームに降りると直ぐに列車は出発、車掌さんが笑顔で手を振ってくれました。 日にちが変わり初めてのポーランド、そして初めて降りた街はトライズベニアという田舎の駅。 駅前には小さな売店だけで他にはお店などは見当たりません。 駅舎に入りオシフィエンチム駅までの切符を買うため窓口へ。。 オットは窓口でしきりに駅名と人数を連呼していましたが、なかなか通じない様子でした。 トライズベニア駅からオシフィエンチム駅まで2人で12ズロチのチケット。所要時間は約40分。 (1ズロチはだいたい40円ほどでした) オシフィエンチム行きのホームに移動するため陸橋を渡っていると前から日本人ぽい男性が歩いてきます。 話しかけてみると東北から来られた方でオシェンチムまで3人で話しながら向かいました。 オシェフィエンチム駅について帰りのクラクフまでの列車の時間を確認してから アウシュヴィッツへ向かうためタクシー乗場でオットはタクシー運転手と料金交渉を した結果、 1台目のタクシーは20ズロチ、「Discount」と言うと15ズロチになり、その価格を2台目のタクシーに言っても下がらなかったので1台目のタクシーに戻り15ズロチで3人で相乗りでアウシュビッツへ向かいました。 (オシェフィエンチム駅からアウシュヴィッツまでの所要時間:約10分) 順路に沿って歩いていくとかつての収容所のゲートがあります。 映画「シンドラーのリスト」でみた「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)という意味の文字が掲げられたゲート。 ARBEITのBが上下逆に、上の方がふくらんでいるのは収容者がせめてもの抵抗の証にこうしてゲートを作ったという説もあるそうです。 元の囚人棟だった建物はいくつもありナチスが没収した収容者の人々の大切な持ち物や衣服、靴の山など見ていてつらくなります。 個人の写真が額に入れられ壁一面に並べてありお花が添えてある額もありました。 アウシュヴィッツを見学しビルケナウに移動しました。 アウシュヴィッツから約2kmで歩ける距離ですが1時間に1本の無料バスも出ていたのでバスに乗りました。 1941年に建設が開始され1945年にソ連軍により解放されるまで百数十万人の命が奪われたビルケナウ。 想像以上に広大な敷地には収容されていた人々がまるで蚕棚のような木造のベットがあるバラックが当時のままに保存されていました。 アウシュヴィッツとビルケナウは見学していて時間の経過とともに気分は沈み気持ちも重くなってくるのはいうまでもありません。 ビルケナウはさらに胸が押しつぶされそうな気持ちになりました。 同時にこんなにひどい、むごい、悲惨な歴史を作ったことに憤りながら。 とてつもなく広大な敷地を歩いていて途中から二人とも無言になってしまい気分的には帰りたくなりましたが、ちゃんと見ておかなければ、と最後まで見学しました。 映画「シンドラーのリスト」で見たシーンが何回も頭をかすめました。 ビルケナウのバラックの周りには青々と草が茂り、タンポポが一面に咲いていて空には小鳥が元気よくさえずっていました。 当時、収容されていた人々もこの地獄のような収容所生活の中でタンポポを目にし、小鳥のさえずりを耳にしたのだろうかと思うと悲しくてたまりませんでした。 と同時に自分がこうして時間を自由に使い、自分の思い通りに暮らせている幸せに深く感謝しながら歩いていました。 負の遺産を訪ねる前は正直、気が重かった・・でも歴史を繰り返さないためにも多くの人の記憶にとどめていかなければならない場所。。 ビルケナウからオシェフィエンチム駅まではタクシー代を行きと同じ様に交渉したものの、同じく20ズロチから始まり15ズロチに。 駅の売店でポテトチップとミネラルウォーターを、窓口でクラクフまでのチケットを購入。 止まっているかわいい1両の電車に乗り込み牧歌的な車窓を眺めているといつの間にか寝てしまい気が付くとクラクフ近くの街中を走っていました。 古都クラクフに到着です。 翌日はクラクフ旧市街とカジミエーシュ地区を散策しました。 ①ドバイ ②ドバイ ③ドイツ(ノイシュヴァンシュタイン城 ・ ヴィース巡礼教会) ④オーストリア(ザルツブルク) ⑤ドイツ(ミュンヘン散歩) ⑥ドイツ(ベルリン) ⑦ポーランド(アウシュヴィッツ見学) ⑧ポーランド(クラクフ旧市街) ⑨ドイツ(レーゲンスブルク〜石畳の街) ⑩帰国へ
by cappuccino731
| 2008-08-15 15:31
| ポーランド
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